「日本の民主主義は揺らいでいないか」
  -ON THE WAY ジャーナル 2011.2.23 放送分

2011年2月23日

 放送第21回目の「工藤泰志 言論のNPO」は、スタジオに元東京大学総長で学習院大学教授の佐々木毅さんをお迎えして、「そもそも民主主義とは何か?」という原点から議論します。
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「ON THE WAY ジャーナル
     工藤泰志 言論のNPO」
― 日本の民主主義は揺らいでいないか

 
(2011年2月23日放送分 17分19秒)

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「日本の民主主義は揺らいでいないか」 

工藤: おはようございます。ON THE WAY ジャーナル水曜日。言論NPO代表の工藤泰志です。私がこの番組を担当してからもう20回が過ぎたのですが、ここからは、少し私たちが今まで当たり前と考えてきたさまざまな問題を、みんなで一緒に考えてみたいと思っています。特に日本の政治の現状を見ていると、この政治が日本の未来に向かってまったく機能しなくなっている。地方でもさまざまな新しい変化が始まっている。これは真剣に考えなければいけない、真剣で重要な問題というのはいろいろとあるのだなあ、と感じたんですね。そのために今日はスタジオにスペシャルゲストを呼んでいます。元東京大学総長で今は学習院大学教授の佐々木毅さんです。佐々木さんおはようございます。


ゲストは佐々木毅教授

佐々木: おはようございます。

工藤: あの、佐々木さんにスタジオに来ていただいたのは、今、私達が考えなければいけない政治の問題、つまり民主主義という問題について皆さんと一緒に考えてみたいと思ったからです。ここでは民主主義のルーツを考えながら、民主主義にはどのような問題があって、それを乗り越えるために過去どのような取り組みがあったのか、そして民主主義を機能させるということをどういう風に私たちは考えていけばいいのか。そして最後にはですね、今の日本の政治の状況を民主主義の視点からどう立て直していけばいいか、ということまで議論を進めていきたいと思っています。この話はかなり大きいので今週と来週の2週にわたって議論をしたいと思っています。

 今日のテーマは、「日本の民主主義は揺らいでいるのではないか」ということです。これから私が佐々木さんに質問しながらですね、その内容について皆さんと一緒に考えていきたいと思います。早速ですが佐々木さん、民主主義という制度は人間が持っている基本的人権とか平等とか、それに適合する非常に大きな、ひとつのきちっとした政治の形だ、ということになっていたんですが、そのためには、この制度の仕組みで社会の課題に対してちゃんと解決、答えを出していく、ということができていないといけないのですが、どうもうまく進んでいないような感じもしているのですね。

 民主主義の仕組みが、今の日本の政治を考えてみると、どういう風な現状にあるのか、ということを最初にお聞きしたいのですが、どうでしょうか。


日本の民主主義はどんな状況か

佐々木: いや、もう本当にいきなり根本問題で(笑)。

工藤: (笑)。

佐々木: 今、工藤さんが言われたように、民主主義といっても中学・高校の教科書にあったように古代のギリシャから形が出来上がってきて、そしてこの3世紀くらいの間にだんだん近代の民主政治というものが定着してきた。ということがあって、その古代のギリシャと近代の民主政治の大きな違いは、今、工藤さんが言われたように、基本的人権とかね、人間の自由と平等というものを基盤にして民主主義を制度化する、仕組みを作っていく、という点にあったわけなのですが、民主主義も政治の仕組みでありますから、やはり結果を出さないといけないということがあるわけですね。考えてみれば、何千万人もの人間が政治に参加するというような政治体制ですから、揺らいでいないかと言われれば毎日揺らいでいる、という面が否応無しにあるわけですね(笑)。

工藤: はい(笑)。

佐々木: ですから、民主主義は、みんなが参加するのはいいのだけれども、果たして結果を出せるかなぁ、ということが実は古代以来、ギリシャの民主政治もそうだったんですけど、ずっと問われてきたテーマなんですよね。だから、参加者が広がれば広がるほどいろいろな意見が出てきて、たとえば「国民の意思に従った政治」と言うけれど「国民というのは誰のことか」と言われて、「工藤さんのことだ」と言われると僕は相当異論があるし、「私(佐々木)だ」と言うと工藤さんは相当異論があるでしょう(笑)。

工藤: (笑)。


日本の民主主義は、課題解決で結果を出せない

佐々木: だから、そういう意味で集合名詞なものだから「国民の意向に従った政治」と言われても、答えにはならないところがありましてね。その意味で特にアウトカム、結果ですよね、これが民主主義にとってひとつの大きな課題として、この間ずっと問題にされてきました。ですから「そこがうまく行っていないじゃないか」という議論は決して珍しいものではないと思います。

工藤: そうですね。だからこの結果を出さないと、20世紀は民主主義の時代と言われたんですが、それが信用を失って、ある時はファシズムになったり、いろいろな形になるという、だからこそ、やっぱり民主主義の大事さというか、これを機能させるようにしなければいけない、ということになると思うのです。そもそも長い歴史の中で、さっきはギリシャのポリスの話が出ましたが、民主主義に託された目的というか希望とか、そういうことってどういう風に発展して、どうだったのでしょうか。

佐々木: 託されたものというのは、もちろん元々ギリシャでは大勢の人間が政治に参加するという体制ですから、それ以上でもなければそれ以下でもない。その判断が間違っていれば、さっき問題になったような結果を出せない、というようなことになるわけで、とかく騒がしくてしょっちゅうこっちへ揺れたりあっちへ揺れたりしているような形で、安定のしない政治体制ということであまり評判が高くなかった。

工藤: 民主政治に対する評判がよくなかった、と。

佐々木: 古代ではあまりよくなかった。それでご案内のように、歴史はその後、王制だとか貴族制だとかいうものが長く続いて、また近代になって民主制になっていった、ということです。ですから、その時々の究極的にはそれを担う政治集団、今で言うと政党になるのですが、それからそこに住む人々の判断というものが非常に民主主義の内実というのかな、内容を方向付けるものですから、何かひとつの目的が、輝ける目的があって、ずっとそれを目指して動いてきた、という風には必ずしも言えないと思います。歴史が大きく変わりますと民主主義の中身も大きく変わるし、例えば、20世紀を見ても戦争みたいな大きな変化の時は、やっぱり民主主義の中身もそれに応じてどんどん変わっていくというか、姿も変わっていく。「大変柔軟である」と言えば柔軟ではあるのですが、逆にその分、常に揺らいでいる可能性があって、それが限度を超えて振れますとね、「機能していないじゃないか」という議論がいつも起こってくる。こういう仕組みだと思いますね。


代表制民主主義は機能しているか

工藤: 僕も佐々木毅さんの本を読んで勉強したのですが(笑)。昔って、みんな自由でいっぱい意見を言うと、いろいろな意見になっちゃうので、その意見が正しいかどうかわからない、という状況の中で、佐々木さんの本で見たアリストテレスが民主制の評価をかなり低く見ていた。ただ、その後ルソーなどに代表されるように、人間の権利として、基本的人権とか平等とかいう中で、自由な人間の自然的な権利とか何かを、いかに政治の仕組みに適合させるのか、という形に変わってきますよね。

佐々木: おっしゃる通り。

工藤: そして、アメリカで合衆国ができて、大統領制とか、イギリスみたいな形(議員内閣制)になりましたよね。その中でずっと見ていると、みんなの意見を集めれば集めるほどいいものになるというものではなくて、それが大衆の専制みたいなものになってしまう。それをどう「代表」という概念にしてやるか、かなりみんな知恵を出し合うというか、悩んでやっていましたよね。

佐々木: そうですね。ですから、みんなの意見を集めるということ、あるいはもっと言うと、裏から言えばみんなの意見に耳が傾けられるべきだ、と。いろんな人の意見は聞かれるべきだ、というのが基本的なこの3世紀あまりの歴史の中で定着した政治のスタイルなわけです。ただ、いろいろなものを聞かれるべきだ、言うべきだ、ということを、実際に結果を出さなければいけませんから、どう絞っていくのかということで、結局そこで導入されたのが、代表者というものを通して政治をする、という代表制民主政治というようなスタイルだったわけです。これは古代にはなかったスタイルなものですから、そこで今度は代表者及び代表する人々がどんな権限を持って、さらにはどんな考えを持ってこの国民の意見をまとめる作業をやるのか、というところへ焦点が移っていって、我々が知っている国会だ、大統領だ、なんとか...といったような仕組みや枠組み、これがひとつなければいけない。その上で、その実質的な担い手である政治家たちの動きというものがどうなるか、という問題がこの2世紀あまりずっと焦点になってきまして、時にはうまくいかないことがいくらでもありました。ですから、よく言われるように、そこで独裁的な方がかえって結果が出せるのだ、という議論が今でも、たとえば時々ビジネスの人なんかに聞くと中国と日本の違いなんか...。

工藤: 中国の方が戦略的に行動している。

佐々木:長期的、戦略的に行動しているのではないか、と。かえって民主主義国家の方が短期的でその場その場と...。なにしろ単年度予算で行動しているのだ、という意味では非常に結果が貧しいのではないか、心配だ、と、こういう議論が出てきています。そういった議論はおなじみの議論で、だからといって民主政治というものを捨てるのか、それともこれをどの水準まで持っていけるか、どういう風にしたら持っていけるのか、という課題が、民主制の課題として残されているわけです。独裁的なところは、逆に言えば結果が出なくなったら直ちにアウトになってしまいますよね。おそらくそうなるだろうと、こういうことだと思いますね。


代理と代表

工藤: 僕も政治学の初歩的なことを理解して非常に感じたのは、僕がやっている言論NPOの活動の中でそういうことを痛感するのですが、一番理想的なのは有権者が全員合理的な判断ができて、いろいろなことに関して志があって、それを意見として言うという仕組みがあれば、それくらい民意の質が高ければ、多分非常に理想的な「人民のための人民の政治」というのはありえると思うのですが、実を言うと、歴史の流れを見るとそうではなくて、圧倒的な多数の人々は、一部頑張っている人達はいたとしても、いろいろな情報とか政治のデマゴーグ、宣伝的なことに影響されて、ある時は「戦争へ行け」みたいになってしまうのです。

 だから本当はみんな基本的人権などの権利があって、その人達がちゃんとしていればいいのだけども、なっていないとすればその人達を代表する人達に託して...という形になって、それをチェックする、という形になっていますよね。

 だから、ここのチェックのところがちゃんと機能しないと、どちらにしてもこの仕組みは同じことになってしまうのではないか、つまり、ただ政治家がいて、有権者がただ選挙の時だけ...。これでは有権者と政治が離れてしまいますよね。

佐々木: だから、ここが非常に難しい問題でね。たとえば、民主主義を導入しようとしている19世紀の終わりくらいの考え方だと、民衆は非常に合理的に判断する、そういう人達の集まりである、と。だから代表者達はただそれを本当に代理すればよいと。

工藤: 余計なことしないで...。

佐々木: という議論が支配的だったんですね。だから「民主化しよう」という話になったのだけど、どうも10年20年経ってみると無関心な人間は結構多いし、それから大体新聞なんか読まないし、それから情報収集能力はそんなに高くない、とかいろいろなことが言われて、結局、逆の問題、側面が出てきました。つまり、代表する側がいろいろな国民の意向というものからピックアップしてきて、自分達でシナリオを組み立てていくという意味で、単に代理ではなくて、もっと積極的な役割を果たすということが実際じゃないだろうか、と。

 例えば、日本でいえば郵政民営化なんかもそうだった。ああいう風にひとりの政治家がアピールすることで世論の方が変わる。だから世論が御本尊みたいにあって光り輝いていて、ただそれを代理すればいいのだという考え方ではなくて、その関係はきわめて複雑で、ある意味で言葉は悪いけれども、働きかけたり、かけられたり、という感じで、この代理では済まなくなってきた。代表というものの機能が、ある種、機能的独立性というものを持つ要素としてこの政治に関わる人々、政治家といえば政治家、こういう人達の役割を重視すべきだ、という民主主義論に少しずつ変わってきたわけですね。だから、問題はそういう民主主義を担う国民と、国民に向かい合う政治家集団というもの、この向かい合い方がうまくいくのかいかないのか、というところにだんだん焦点が絞られてきて、こうした視点から日本の民主主義が揺らいでいるのではないか、という不安定感が増してきている。

 有り体に言えば、政治家、政党というものの機能的独立性というものが、これで大丈夫かな、とか、あるいは政治家集団の中でいろいろとトラブルが多すぎて、国民に向かって有効な動きをする余裕がなかなか見られないとか、そういった問題を今、先程工藤さんが出されたんじゃないかと。


今の政治家は自分らの代表との意識があるか」

工藤: そうですね。つまり、民主主義というものが機能するためには、みんなが、有権者が非常に強くならなければいけないのですが、一方で代表を送ったのであれば、「この人は代表だ」という意識がなければいけないし、ちゃんと監視しなくては、政治家が自分たちの代表だという意識で国民に向かい合っていく仕組みがないと、多分、関係が切れてしまいますよね。

佐々木: だから、例えば、古典的に言うと地元の利益を代表するか国民の利益を代表するか、と何十年も議論してきたことなのですね。これも必ずしもひとつの答えが出ない面があります。そういう問題に見られるように「代表する」ということはきわめて大変なことです...。

工藤: 大変なことですよね。

佐々木:で、それをどう代表するか、ということについて、プロの側はどれだけ練った議論をして、準備をしておくかということが、やっぱり大きな、重要な要素なのですね。


民主主義の仕組みは改善する努力も大切

工藤: そうですね。話が尽きなくてこれを来週も続けないといけないのですが、やはり民主主義が揺らいでいるというのは、そこの絆というか関係が弱まって、多分、多くの有権者は今の日本の政治が自分の代表だ、と思っている人がいないような気がする。いるのかもしれないけど(笑)、いないとしたら、それは何なのだろうと。民主主義という形がせっかく歴史をベースにしてそこまで作り上げられたのに、それをどんどん今に合うような形で改善したり、努力するというプロセスが何か足りないのではないか、という気がちょっとしました。佐々木さんもそう思ったでしょうか。

佐々木: ええ、それはまた仕組みの問題とも絡むし、動こうにも動けないという場合もあるかもしれません。だけど、それを変えていくのも政治の仕事だろうと思うのですね。

工藤: そうですね。ただ僕、佐々木さんの本を見てわかったのは、つまりそういう風な仕組みがちゃんとないと、たとえば大恐慌とかいろいろな危機があった時に、それを吸収できないために、「わっ」と不満だけが出てしまうという、そういう歴史がこの100年にあったわけですね。

佐々木: たくさんあります。

工藤: あったので、つまり日本が今、課題が多い中で、民主主義の仕組みがきちんとないと、非常に脆弱な体制になってしまって、この民主主義というせっかく作ったものを覆してしまいかねない、という岐路にあるのではないか。それはまだ言いすぎでしょうか。

佐々木: どこが限界なのか、ということはなかなか判断が難しいのですけど、メルクマールとして言うと「ちゃんと予算が通せないと困る」とかね(笑)。それから「毎年、首相が変わるようでは困る」とかね、いくつかメルクマールがあるということは確かですよね。

工藤: そうですね。つまり、今日の話では、民主主義というのはいろいろな問題点があるけれど、それをきちんと克服しながらうまく使っていく、今は、どんどんいいものにしていくという段階なのだな、ということを、非常にわかっていただけたのではないかと思います。さて、では、日本の民主主義はどこが問題で、どう立て直せばいいのかということが次の大きな問題になってくると思います。それは申し訳ないけど次週、佐々木先生とまた話をしていきたいと思っています。今日の話、「民主主義」ということは、僕達の未来に関わっている問題でもありますので、是非、意見を寄せていただければ、と思っています。今日はどうもありがとうございました。

佐々木: どうもありがとうございました。

(文章・動画は収録内容を一部編集したものです。)