【国と地方】 増田寛也氏 第1話: 「これからの国と地方の形をどう考えるか」

2006年6月17日

増田寛也氏増田寛也 (岩手県知事)
ますだ・ひろや
profile
1951年生まれ。77年東京大学法学部卒業後、建設省入省。千葉県警察本部交通部交通指導課長、茨城県企画部交通産業立地課長、建設省河川局河川総務課企画官、同省建設経済局建設業課紛争調整官等を経て、95年全国最年少の知事として現職に就く。「公共事業評価制度」の導入や、市町村への「権限、財源、人」の一括移譲による「市町村中心の行政」の推進、北東北三県の連携事業を進めての「地方の自立」、「がんばらない宣言」など、新しい視点に立った地方行政を提唱。

地方は北風の中に立ち始めた

 三位一体改革については、このブログでの発言で皆さんがかなり厳しい評価を行っているのはある意味でやむを得ないと思います。

 本当は、日本の政治史の中で、地方分権によって真の民主主義をそこで産み出していく、あるいは、産み出されたものをもっと根付かせるという文脈の中で議論をしていって、その中で国から地方に移す財源や権限をどうするのかという位置づけの議論だったはずです。

 結局、財政論から出発して話が起きてきて、財政の話で4兆円の補助金削減、3兆円の税源移譲という、その数字の目標を達成することで終わってしまったという感じです。国の財布が厳しくなった。しかし、地方は国よりはまだ財布の方はよさそうだということもありました。その中で、補助金の削減に対応して、税源移譲を仕組む話が出てきましたが、地方に何でもかんでも自由にやらせてはおかしいのではないか、霞ヶ関の権限を大幅に減らすこともできない、それでは補助率を少し下げるところで手を打ちましょう、というところで終わってしまいました。

 ですから、何が実現できなかったかというと、やはり、本当に地方で民主主義が根付くようなことがこの改革でできなかった。民主主義の最後は、自己決定、自己責任が伴わなければいけないと思いますが、相変わらずそこの所には行き着かなかった。

 私は、三位一体改革というのは財布の形を変えるだけではなく、中央政府の形を変える、それも中央政府の形を変え、さらに日本の政策決定において、官の役割や官と政治の関わりを、本当は、変える話にならなければならないと思います。

 地方経済は確かに厳しいものがあります。しかし、真の民主主義が地方に根付いていって、本当に公共事業一辺倒の、依存だけの地域経済ではない姿をそこで実現させるための手がかりになったかというと、この改革だけではその姿はまだ見えません。中央省庁の形は全く変わっていません。財政の面についても、すべてを国が配分していて、公共事業などを誘導する方向に交付税なども使われている。
もちろん、地方側に対する批判も分かります。本当に地方側に自立する覚悟があるのかという意見もブログの発言の中にありましたが、私は、地方自治というのは、結局、有権者一人ひとりがどうやって自分たちの代表を選んでいくかという話になりますから、逆にいえば、「覚悟ができていなかった、だから駄目だ」と言うと、何か、天に唾をして全部自分に降りかかってくる感じがします。

 我々に覚悟ができていなくて、小泉総理から投げられたボールを持ってあたふたとしていたという意味なら、それは少し切なすぎる。それでは自分たちの民主主義を全部否定することになってしまう。そこまで自分たちを卑下する必要はないだろうと思います。

 それはやはり、今までずっと中央から与えられていた民主主義の中で、北風に当たらずに暖かい毛布を配られて、その中でぬくぬくと育ってきた経験がなせるものであって、今回は良い経験のひとつにはなるのではないか。その中で、ごく僅かでも取ったものがあったら、それでも一歩進んだと捉え直して、それで前に向かって進んでいけばいいのではないでしょうか。

 今は地方自治体もかつての3200の自治体が1800になりました。その1800の自治体が全部右に倣えで同じ方向に行くのではなく、そこには多様な人がいて、金持ちの自治体もあれば、本当にお金に窮している自治体もある。

 そうした多様な自治体の中でも、自分たちでやろうということについて前に進み出して北風の中に立ち始めた自治体が出てきた、と評価すればいいのではないかと思うのです。


※第2話は6/19(月)に掲載します。

 三位一体改革については、このブログでの発言で皆さんがかなり厳しい評価を行っているのはある意味でやむを得ないと思います。本当は、日本の政治史の中で、地方分権によって真の民主主義をそこで産み出していく、あるいは、産み出されたものをもっと根付かせるという文脈の